赤裸々ヶ丘で君の咳LA・LA・・・

おうかどんるーちーに乗ってやって来たのは誰だろう。三日月んちゃんか、頭も胸もズキンそれはつらいちゃん、そのどちらかではないだろうか。1960年代に生産の最盛期を迎え人気を博した乗り物、おうかどんるーちーは、今では珍しい移動手段としてテレビで取り上げられることも少なくない。右と左があって、前にも後ろにも動き、中が深くて入りが浅いため小回りが利き、老若男女によく愛されていた。

「そう、よく愛されていたのよ」

 

さあ アズアズDAY

半分こ〜(コンバンワ~)☆

メチルアルコールショップ(メッチャ)の皮膚いい(カワイイ)アズアズだよ〜ん!みんな、どげんかせんといかん(ゴキゲンイカガ)?今日の気づき、今から核(書ク)ね。

 

人の愛し方をまるで知らない人は愛を押し付けるし、また、愛されないことを怒る

 

これは戸田市に(タダチニ)sinで(死罪デ)いいよね?

チューうずうずDAY

時々、生きることが面倒くさい。髪が伸びるのが早い。あの人みたいに光沢のある頭をしていたい。光を反射する部分を身体に持ちたい。坊主や短髪が推奨されている野球部員たちがバスに続々と乗ってくる。どんな理にかなっているのか知らない。監督の趣味か。空が曇っている。白いハナミズキが咲いている。淡い葉の緑によく合っている。

セロトニン・ヘル

「治らない病気を治してくれるお医者と、治る病気を治してくれないお医者について話してみようと思うんだけど」

「聞くよ」

「治る病気を治してくれないお医者は、お医者なのかな?」

「医師免許を持っているならお医者だよね」

「お医者とは書いてあるけど、免許を持っているとは書いていないんだ」

「そのお医者はどこにいるの?」

「どこにもいないんだ」

「いないの?」

「そう」

「そうなの」

「うん」

「そうか。治してくれないっていうのは、患者を門前払いしているという意味?」

「明確な記述がないんだよ」

「じゃあどんな記述ならあるの?」

「治らない病気を治してくれるお医者と、治る病気を治してくれないお医者」

「それだけ?」

「そう」

「そうなの」

「うん」

「えーと。僕はどうしたらいい?」

「さっき君はどうするって言ったの?」

「ん?」

「ん?」

「僕がどうするか?さっき?」

「そう」

「"聞くよ?"」

「そう。よく聞いとけ」

哲学者の樽に落ちた

悲しいことがあって、うわんうわん泣いたんだけど「あなた、ほんとうに悲しくて泣いているの?」って、わたしはわたしに訊ねずにいられなかったのよね。涙活っていう言葉を知っていること、泣くという行為が意外と気持ちいいこと、涙活として気持ちがよくて泣いているのだとすれば、自分(自意識過剰)はもしやカメラを向けられた役者になりきっているのじゃないのか?ほんとうに悲しいことを利用した自慰行為なんじゃないかって……。泣いてばっかりいないための、前を向くための機能なのかしら。

斜向かいの石像 vol.1

汁ガンギニストの小沢さんは、シャチの赤いところを見た時のように驚いた顔をした。それを見たチリバミストの幸田さんは、食器洗い機の器と機を間違えた時のように口笛を吹いて笑った。どうやらとてつもなく凄いモードに入っているらしい。それゆえ競艇場の波が今日も今日とて府中の街に溢れ、背の低い子どもたちが高台に避難するのだ。避難しているあいだ高台のテレビでは、心のささくれとサクレレモンがコラボしてできた糸の中島みゆき触り心地良すぎ問題について討論がなされ、多くの子どもたちが更に水面に近づいてしまった。汁ガンギニストの小沢さんは、目くじらを立てかけた壁で跳ねているトコジラミ調の蝿に話しかけているふうを装ってズボンのチャックを上げた。よりによってチリバミストの幸田さんに声をかけられてしまった。「口にもチャックかな?」盛られたポイズンのイメージが駆け出そうとしている原っぱが急に眼前に広がる。モミジの木が常緑樹になり、静まり返った土の中からLEDが放たれる。モグラの格好をした1羽の鳥がモスクワを目指してたどり着いた先が、先島諸島の最西端の小石の上だったら?小沢さんはゾッとした。