彼の瞳

一般的に、知らない人を長きにわたって直視することはただならぬことであって、逆もしかり、知らない人に長きにわたって直視されることはただならぬことである。ガンをとばす、因縁をつける、という表現がある以上、そこへあえて寄せるために、というか、引き寄せられて、というかそれに加えて、タイマンとかタイを張るという表現が意味することを知ってしまっている以上、直視をされるとなぜかは知らないが安易にそのようなほうへ寄せてしまうのが人間、とくに人間の男はその傾向があると思う。寄せるというか、流されるというか、反射的にというか。前置き終わり。

男湯においてほとんどの男は男に興味がないから、一度チラと見てそれ以降むやみやたらに視線を送ることはしない。これは男界ではかなりふつうらしい。だが、どうやら男の中でも自分のことをゲイにカテゴライズしている男は、とくに公共の風呂場においては男を直視したいもので、しかし直視は因縁をつけたつけない事件を招きかねない行為だと分かっているから、直視ではなくチラ見を重ねてつなぎ合わせてほぼ直視と成す、かなり高度な技を人知れず披露するものである。しかし、その技には少々難点がある。目が泳ぐのだ。

俺は一家の大黒柱を担い、そして当然女を愛する、という、どっしりと構えた"男"を自認している男たちは、とくに公共の風呂場においては目が泳がないのに対し、俺は男の股間が好きだと、はっきり理解している"男"を自認している男たちは、家より一歩外、とくに公共の風呂場においては目がチロチロと泳ぐのだ。

わたしの目は泳いでいた。昨日のどっしりと構えた男は、身体がどっしりしていて、イチモツもどっしりしていた。幾多の女を抱いた形跡なんてどこにもないが、おそらく幾多の女を抱いたのであろう。あの見てくれで女を抱かないわけがなく、女に挿れずにいられるわけがあるはずがないのだ。ひどい言い方だが、称賛している。タバコを吸わないわけがなく、酒を飲まないわけがなく、ハイエースに乗らないわけがないのだ。いよいよおかしい。

兄貴に聞けば、どっしりと構えた"男"にはない動きをしていた"男"がいたという。なにしろ彼の瞳は、ほとんど溺れる人のように飛沫をあげていたという。