GARDENより海を眺めて

GARDEN

鉄の板をくり抜いてある。それは自立する場合があるし、土に刺さってやっと立つ場合もある。GARDENは玄関にあったり、庭にあったりする。いろんなGARDENがある。おしゃれなGARDEN、おしゃれふうなGARDEN、ちゃっちいGARDEN、とりあえずGARDEN。人の好みに合わせて、姿かたちを変えて、GARDENはありとあらゆる場所に現れる。じつにフレキシブルなGARDEN。しかしなぜGARDENなのだろう?なぜ△○□ではなく、□□□□でもなく、👀でもなく、:。"❜でもなく、CURTAINでもなくGARDENなのだろう?それをまたなぜGARDENに置くだろうか?GARDENとくり抜いて売っているからだろう!思考停止の宣伝を、人の敷地が請け負っている。

空き地の植栽。ずらりとアベリア、ずらりとサツキ。無いよりは良いんです、無いよりは良いんです、よね?

植物を植えることは、二酸化炭素の減少にはつながらないらしい。植物は大気中の二酸化炭素を、炭素に変換して体に蓄えて生きている。植物は、死ぬと微生物に分解され、その際に蓄えていた炭素が二酸化炭素となって大気中に放出される。つまり、植物が生きているあいだは、大気中の二酸化炭素を植物の体内に固定できる、大気中の二酸化炭素が減っているように見せることができる。アベリアやサツキの寿命は長い。

長井仮屋港という漁港がある。目の前には団地がある。幾度となく、そこでの暮らしに憧れた。朝起きるときも夜眠る前も、海がそこにある暮らし。海がそこにある暮らしは、錆がそこにある暮らしでもあると聞く。それでも、海がそこにある暮らし。