大切なもの

どんなにフツーの生活をしていても、自分の人生にとってこれは大切だ!っていうものが、ひとつふたつ、あるいはそれ以上、浮かんでくるものだと思う。一体それがいくつあるのか訊ねられても、私はさっと答えることができないが、そのうちのひとつがほんのついさっき思い浮かんだ。

におい。

どちらの漢字で表してもかまわない。とにかく嗅覚に働きかけるもの。これは外せないと思った。

我が寝床は築三十ウン年の木造アパートなのだが、窓を閉めた状態で換気扇を回すと、なぜかブレーカーから外気がふんだんに取り込まれる。部屋からしてみれば外気だが、言ってしまえば、部屋の外、アパート内の空気だ(と思う)。その風は一年中、気持ち少しナイーブになるような黴のにおいがする。あまり良いイメージのにおいではない。

ところで黴に対して、もし好印象を持つ人がいるなら、おそらく彼らはおそうじ本舗かチーズ会社にでも勤めているのだろう。

ちょうどこのにおいが部屋に漂う季節に、私は会社をやめた。収入がないのに、とにかく金は出ていく、むしろ、追い出すと言ったほうがいいような、そんな時期だった。働かざる者食うべからずということわざを熱心に敬っていたわけではないが、あまり好ましい暮らしをしているとは思えなかった。だから逃げるように相方の家へ行ったし、それでいいと思っていた。

あのときの自分が果たしてどんな態度で人に、あるいは相方に接していたかを思うと、ぞっとする。結局、相方にもう無理だと宣言されたときに、やっと自分の取った行動、言動が見えたような気がしたもの。あ、終わっちゃった、みたいな軽い気持ちが、次第に大型になる台風みたいに、徐々に攻めてきて、毎晩大雨を頬に降らせた。

そんなことを思い出すにおい。だから、この黴のにおいは匂、であって、臭、ではだめなのだろう。

あの頃の私は、今の私とは別人です、と言い切ってもなんら支障はないとは思うが、所詮私は私なのだと思うと、がっかりすることはよくある。がっかりしてもね……と思いつつも、がっかり。そんなのばっかり(韻を踏めたぜ!)。

そんな別れの季節になぜかよく聴いた歌がある。山崎ハコサマータイムが聞こえる』。なんか、しみたのよね。

『きれいに 少しずつ

大人になったかは

自分でもわからないよ

本当は分ってる』

泣くのにちょうどいい曲だったんだよ、ホントに(笑)

となると、我が人生に外せないものがまたひとつ。

音。