夏休みの空

夕方の空は、夏休みの、宿に向かうときの、あるいは、宿に着いたときの空だった。だからあんなふうにしばらく見上げていたけれど、それは文字通り空っぽなことだった。

特別扱いしすぎてきた。しすぎただけあって、脳味噌も「これは特別なんだ」って、相当鍛えられたんだと思う。特別なことって、なにか?旅行、帰省――意外と少ない。これしかなかった。わずかふたつのイベントに、当時は人生のヤマ場を設定していたと思う。

もうひとつあった。週末のかもめ町だ。あれは格別だったのかもしれない。

夕方の空は、夏休みの、網張温泉に向かうときの、あるいは、網張温泉に着いたときの空だった。夏休みの空だった。特別扱いしすぎた夏休みの空だった。