ぷい〜〜ん、ぷいぴ〜〜ん

日本に希望がないから子どもをつくらないと思う気持ちはわかる。(わかるけど、男に性的興奮を覚えるのだよね、わたしの場合は。)でも、日本を取り囲む海を越えたら、立つことができる大地、歩くことができる大地――まわりくどくてごめん――生きるための大地があるわけじゃないか。海を越えたところに子供をつくってもいいと思える大地が――それもないというのかい。

わたしは日本語しか喋れない。だから、海外に行きたいと思わないという構造なのだけど、もしも英語が喋れたら、行きたい場所や生きていきたい場所は限定されないのじゃないか。言葉が通じないのはぜったいストレスだと思うから。

日本にいるのは日本を愛しているから、ではなく、日本にいるのは日本語しか喋れないから、という理由のほうが強い、少なくともわたしの中では。日本を愛したい、嫌いじゃない、好きかと言われればはっきりダイスキとは言い切れない、だって懸念が多い、希望が持てない、その気持ちはわかる。(まるで子どもをつくらないと思うひとたちが皆そう思っているような言い方。)でも、べつに日本人だから日本で生きて死んでいかなきゃいけないわけじゃない。それを強制するひとや強迫観念で生きているひとはいるとは思うけれど、単純に、地球上で、宇宙の中で、死を選ばずに生き残ることを考えればいいだけじゃないだろうか。