哲学者の樽に落ちた

悲しいことがあって、うわんうわん泣いたんだけど「あなた、ほんとうに悲しくて泣いているの?」って、わたしはわたしに訊ねずにいられなかったのよね。涙活っていう言葉を知っていること、泣くという行為が意外と気持ちいいこと、涙活として気持ちがよくて泣いているのだとすれば、自分(自意識過剰)はもしやカメラを向けられた役者になりきっているのじゃないのか?ほんとうに悲しいことを利用した自慰行為なんじゃないかって……。泣いてばっかりいないための、前を向くための機能なのかしら。